新聞記者を辞め、個人のビジョンを作る仕事を始めた理由

最終更新日:2022年6月12日

5月、私が代表を務めるフルエールは自己理念構築プログラム【RE.デザイン】を立ち上げました。自分を内側から体系的に言語化し、一貫性のある人に変わるプログラムです。この記事ではなぜ、大企業の新聞記者という安定した仕事を手放し、個人のビジョンを作るコーチに転身したのかをお伝えさせていただきます。

記者時代に感じた違和感

私は大学卒業後の2009年4月、日本経済新聞社に記者として入社しました。新聞編集を3年、宇都宮支局を3年、そして後半の6年間は東京本社で霞ヶ関で環境や経済の担当記者として働きました。

霞ヶ関は省庁が軒を連ねる中央官庁のことを言い、そこで働く方々を官僚と呼びます。6年間、さまざまな分野で働く官僚の方々にお話を伺う機会をいただきました。官僚は、政治家と違って新聞やテレビに目立って掲載されることは多くはありませんが、行政の中枢として日夜奔走しています。一人ひとりも極めてまじめで責任感の強い方がぞろいです。

しかし、私はこの霞ヶ関を取材する中で、だんだんと官僚の方々が働く職場に、違和感を覚えるようになりました。

官僚として働く人たちは、皆こぞって「学業最優秀」の方ぞろいです。幹部名簿を眺めれば、どこの省庁の学歴もほぼ同じです。「日本的偏差値教育」で言えば最優秀組が、金太郎飴のように集まっているのがこの霞ヶ関という職場の姿です。

担当が長くなるにつれて膨らんできた違和感は「官僚として働く人たちは、本当に自分がやりたい仕事に自分の力を使えているのだろうか」という想いです。

取材を通じても、官僚の人たちは一人ひとりとても能力が高く、人柄にも優れた人がそろっていると感じます。

自分を活かして生きるとはどういうことか

しかし、私には多くの方が、何か自分を押し殺して仕事をこなしているようにも見えました。自分の内側からの意欲に燃えて自発的に仕事に邁進しているというよりは、外側からの圧力に自分が潰されないように日々をなんとかしのいでいる人が圧倒的多数のように思いました。霞ヶ関全体に漂う硬直的な空気は、新しいものやことを柔軟に生み出す環境とは言い難いもののように感じていました。

私はそうしたことを感じながら、とてももったいない職場なのではと思うようになりました。なぜ、とびきり高い能力を持つ人が、自分を押し殺して働かないといけないのかということです。

能力も意欲もある人が、なぜ自分の力を発揮できないのか、それは社会に対して大きな損失ではないかと思うようになりました。実際に、霞ヶ関は若手や中堅職員で心の病に罹る人は年々増えているそうです。

自分を活かして生きるとはどういうことなのか」。この疑問は、常に頭の中を巡っていました。

駆け出し記者時代に出会った人たち

そんな疑問が頭をよぎるとき、いつも思い浮かべる場面がありました。駆け出し記者だった宇都宮支局で出会った取材先の顔です。20代だった私は地方支局で働く喜びを胸に、栃木県中を走り回っていました。知事から頭取、トップバーテンダーから五輪選手まで3年間で1000人くらいの方と一対一でお話する機会をいただきました。

私が、最も心動かされたのは自分で仕事を作っている人の話でした。小さくても、自ら新しい価値を生み出そうとしている人の話は、例外なく、メモを書く手を忘れるほど引き込まれました。

仕事の切り口は人それぞれです。「ご当地紅茶の製造」に情熱を燃やす起業家がいれば、「農家と都市をつなぐ」挑戦をするベンチャー社長、「幼稚園教育の改革」に邁進する若手経営者、「視覚障害者向けのソフト開発」に挑むIT会社社長などです。

自らの言葉で「なぜこの仕事なのか」を明確に語る人たちが、私には誰よりも輝いて見えました。立派な社長室でスーツで身を固め、秘書を横につけて、国際情勢について知ったように語る大企業の社長より、はるかに私には格好良く見えました。

心動かされた話に共通するもの

心動かす話に共通していたものがあります。それは「ビジョン」です。ビジョンは、平たい言葉で言えば「実現したい未来」と言えます。それぞれの起業家やベンチャー経営者には目指そうとしている「明確な未来」があり、聞く側としてはそれに共感を覚えたのです。

例えば「ご当地紅茶の製造」をしている起業家に初めてお会いした時、「なぜ紅茶なのですか」と聞きました。すると「宇都宮を誇れる街にしたいからだ」と明言してくれました。よくわからないのでさらにどういうことか聞けば、「宇都宮といえば100人中99人が『ギョーザ』と答える。でもギョーザは親しみがあっても、胸を張ってカッコよく誇れるものではない。紅茶を通じて市民がもっと自分の街を誇りに思ってほしい」と語るのです。

初めは半信半疑で聞いていたのですが、繰り返し足を運んでいるうち、この方は単に紅茶を売る仕事をしているのではないことがわかってきました。この起業家の仕事は「紅茶を通じて宇都宮市民に自分の街に誇りをもってもらうこと」なのだと知ったのです。実際、この起業家の仕事によって、紅茶の不毛地帯だった宇都宮は、国の紅茶消費量でも全国上位の常連になるまでになりました。一人の強烈なビジョンが、周りの人を巻き込み、地域を変え、世の中を変えていく姿を目の当たりにしました。

これは1例で、ほかにも世の中を変える経営者の姿を私は確かに見てきました。地方だったからこそ、一人の存在によって地域が変わる様子が分かりやすかったのかもしれません。20代だった私は、ビジョンをもつことは、自らを変え、周りの人を変え、地域も変えることを学びました。

「地理オタク」になれなかった青春

20代だった私が人のビジョンを聞いて、なぜ心をふるわせたのか。それは私自身が「自分のことがよくわからない」ことに深く悩み続けてきたからです。

自分に悩み出したきっかけは、大学受験での屈折です。北九州の自然に恵まれた山あいの小中学校で過ごした私は高校時代、地理が大好きでした。世界中の地名や地形を写真や地図帳で眺めながら「地理マスターになっていつかこんなところに行ってみたい」という想いを胸に膨らませていました。毎週土曜日の「世界ふしぎ発見」は、毎週必ず問いと答えをノートに書き綴る「地理オタク」でした。他の科目はほどほどでしたが、地理だけは学年トップクラスでした。

「地理オタク」に生きる道を定め、進学先として早稲田大学教育学部の地理歴史専修を目指しました。センター試験は捨てて「地理」「英語」「国語」の3教科だけに絞り込みました。模試の判定も上々で「間違いなくいける」という確信のもと試験に挑みました。

結果は無情にも不合格でした。今でもなぜ落ちたのかよくわからないほどです。たまたま、同じ3教科で受験できるという理由だけで申し込んでいた商学部にたまたま引っかかり、私はやむなく進学することにしました。

地理とは縁遠い、ビジネス重視科目がずらりと並ぶ商学部のカリキュラムで、興味の持てるものはありませんでした。転部も認められませんでした。私は大学時代の5年間、迷いに迷い続けました。根底にあったのは「自分は何を軸にすればいいのか」と悩みです。「地理オタク」になれず完全燃焼とは言い難い大学時代でした。

34歳でうつ9ヶ月のどん底

「自分が何者かわからない」悩みは、「新聞記者」という明確な職業についても時おり顔を覗かせては不安な気持ちにさせました。目の前の仕事に追われながらも「本当にこれでいいのか」という思いが付きまとい続けました。

34歳の時、一つのことをきっかけに、かろうじて安定を保っていた精神状態が音を立てるように崩れました。前へと進む道標を失い、どちらに進んでいのかわからなくなりました。山でいえば遭難です。9ヶ月間生きているのか死んでいるのかわからないうつ状態になりました。大学以降の全てを否定しました。「高校生の時に戻りたい」という衝動で、頭を丸坊主にするほどに、精神的に錯乱した状態でした。

自分のビジョンを見つけ立ち直る

精神的どん底でもがいているうち、もうこの延長に自分が納得いく人生はないと悟りました。大きな会社の肩書きや社会的ステータスのある職業など、自分の外側にあるもので飾るように生きていても、自分にとって幸せな人生にならないことが骨身に染みてわかりました。知らずの間にしがみついていた自分の外側にあるものを手放すこと、これが自分ができる最善の方法だと知ったのです。

そのためには、自分を根底から知り直すことが欠かせないと感じました。20代向けのプログラムを受け、3ヶ月間、徹底的に自分の生い立ちから振り返りました。自分の価値観を言語化し、当時の自分がこれ以上できないと思えるビジョンを打ち立てました。

当時作ったビジョンは「世間体の人を、自然体で生きる人に変える」です。私のように世間体に縛られて苦しんでいる人を、自分の心がふるえる方に導き、自然体で生きる人に変えていきたいという想いを言葉にしました。

価値観を言語化し、ビジョンを見出すことで、自分が進むべき道が自然と見えてきました。同時期に「コーチング」という対話にも出会い、コーチングを手段とすれば、このビジョンに向かえるのではと思うようになったのです。ビジョンを持つことが人の人生を変えていくことを、自分自身の実体験を持って知りました。

記者時代に出会った「ビジョンを語る人」、そして自分自身が抱え続けてきた「自分のことがよくわからない」という悩み。この両方が私がビジョン作りを仕事にした理由です。

現在、個人のビジョンを言語化するサービスはこの世の中にありません。企業向けのビジョン構築サービスはあっても、個人向けはありません。それは個人の考えが、企業よりはるかに多様で複雑なためでしょう。私自身は新聞記者として12年間300万人に伝わる言葉を書き続けてきたこと、そして「人の話を聴く」プロのコーチとして実践し続けているからこそ、その挑戦者でいられると考えています。すでに30人近くの経営者や個人の方の理念を言語化し、高い評価をいただいています。

一人ひとりがビジョンをもつ時代

ビジョンは決して企業だけが持つものではありません。これからは、一人ひとりがビジョンを持つ時代です。なぜなら、これからの時代は、共感し合う個人がつながる時代だからです。私たちの働き方はこの2年でも様変わりしました。一つの会社で勤め上げるという考え方は、旧時代にものに変わろうとしています。

著述家の山口周さんによれば、これから時代の中核を担うミレニアル世代(1980年〜2000年生まれの人)の大きな特徴は、「モノ」ではなく「意味」に価値を見い出すことなのだそうです。これは日本だけでなく、世界的な調査を見てもその傾向なのだと言います。例えば、2015年に実施されたある世界29カ国のミレニアル世代の調査では、就職先を選ぶ基準として給料や扱っている製品ではなく「その企業が事業を行っている目的」を重視すると答えた回答者が6割を超えたという結果が出ています。

これからは「その仕事で何を目指しているのか」が問われる社会になってきているのだと思います。それは働く一人ひとりに突きつけられる問いです。自分のビジョンが言語化できているかどうかが、出会う人を決めていくとも言えるでしょう。

心ふるえる方へ

フルエール社のビジョンは「心ふるえる方へ」です。フルエールは、挑戦する人をFull(めいっぱい)にYell(応援)するという決意と、「心ふるえる」瞬間を生み出したいという願いからつけました。

私たちは、ビジョン作りの仕事を通じて「一人ひとりが自然体で輝く世界」を目指します。世間体という日本特有の閉じた空気感で苦しむ人を解放し、自然体で輝く世界を仲間とともに作っていきたいと思います。

自己理念構築プログラム【RE.デザイン】というプログラムをお届けしています。自然体で輝く世界を一緒に作り、心ふるえる方へ踏み出しましょう。

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自己理念構築プログラム主催【90分でブレない仕事軸が見つかる!ミッション言語化セミナー】の7月の開催日程を決定いたしました。詳細はこちらのページをご覧ください。

 

 

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安倍大資(あべだいすけ)
自己理念コーチ、フルエール代表

新聞記者出身のプロコーチ(CPCC、Co-Active®︎コーチ)。日経新聞記者をしていた34歳の時に自分を完全に見失い、9ヶ月間うつ状態で過ごす。精神的どん底期でコーチングに出会い、自分の価値観で生き直すことを決意。2021年4月に独立しフルエール創業。

悩みを乗り越えた経験をもとに「仕事軸と理念を言語化しやりたいことを実現する」コーチングプログラムを提供している。

京都芸術大学大学院でコーチングを研究中。早稲田大卒。

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